カテゴリ:三重の郷土史



26日 8月 2017
塾長は郷土史家ではありませんが、子供たちが自分の生まれ育った地について何も知らないようなので、あえてブログに書きたいと思います。度会郡玉城町と度会町の境にある国束山山頂(標高416m)にはかつて「國束寺:くづかじ」というお寺がありました。塾長が中学生の頃、一度この山に登ったことがありますが、山頂は大変荒れ果てて石の基礎しか残っていなかったように記憶しています。現在は登山道が整備されていて、登山者が増えてきているそうです。実は大変由緒のあるお寺で、今から約1400年前、聖徳太子(574-622)が皇大神宮(伊勢神宮)の神勅に従って開いたもので、平安から室町時代に密教の一大修行道場として発展したのが國束寺でした。空海【弘法大使】(774-835)がこの地を訪れた折には、この山を「胎蔵界曼荼羅の山」と称嘆されたと伝えられています。戦国期に織田信長 (1534-1582)による伊勢侵攻 (1568頃?) で焼失していますが、江戸時代に見明上人 (**-1686) が、藤堂高虎公 (伊勢津藩初代藩主1556-1630)、紀州徳川藩の帰依によって國束寺を再興しています。第二次大戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)による農地改革で地領が無くなったために、昭和28(1952)年に本尊と建物の一部が大阪四天王寺、残りの建物が国束山南の度会町平生にある現在の國束寺にそれぞれ移築されています。替わりに送られた十一面観音立像が現在の國束寺の本尊となっています。戦後までは最澄(767-822)が開祖の天台宗に属していましたが、現在は四天王寺の末寺(天台系和宗)として運営されています(以上國束寺のホームページを参考させて頂きました)。真言宗の開祖である空海が、天台宗の國束寺を訪れていた訳ですから、当時、空海は年上の最澄と交流があったのではないのかと想像すると興味が湧いてきますね。  この国束山への玉城町側にある登山道入り口に大きな巨石が祭られ、「弘法石」と呼ばれています。国束寺に弘法大師が訪れたと伝えられていることと、この石に「・・・海敬白」と刻まれていることから、空海が連想されて命名したとのことです。全国津々浦々を旅したといわれる空海ですが、空海伝説は300を超えると云われています。杖や独鈷(仏具の一種)で地面を突くと温泉や塩水が湧出したなど、数多くの伝承があります。平成4年に川底に埋没していたこの石を引き上げ、ほぼ同時にこの地の近くに温泉が湧出したことから、「玉城弘法温泉」と命名され、連日のように賑わっています。 いずれ、塾生の有志を集めて国束山登山をしてみたいと思っています(それまでに減量しなくては)。小中学生の皆さん、決して一人で登らないでくださいね。 塾生には、地元塾ならではの教育もしたいと思っています。入塾をお待ちしています。 *写真は玉城多気教室がある道沿いに建つ「國束寺観音道」石碑です。